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わかめのマメ知識〜わかめの生物学〜


わかめ養殖の歴史(その2)

さて前回は、ワカメ養殖の先駆者、大槻洋四郎さんが中国で戦後も、養殖指導をしていた所まで話をしました。
大槻さんが帰国したのは1948年です。それまでの間、三陸の漁師さんもワカメの養殖を行おうとしたのですが、大槻さんが特許を取ったらしく(戦争中でどうもはっきりしていなかった)、戦後も特許からみで養殖はあまり進展していませんでした。
しかし、そのうちにこの特許が無効であることが分かったこと、三陸の石巻地方に辻隆三さんなどの在地研究家的な人々も試験を重ねてきました。もう一方のワカメ養殖地の雄、鳴門地区でもワカメ養殖が何人かの研究家の努力で進歩してきました。国もワカメ養殖の推進に力を入れ、1960年代前半で数々の養殖実験が進められ、1960年後半にはほぼ養殖方法が確立しました。
三陸地区では波が荒いので、水平式養殖方法、鳴門地区では比較的水深が浅いので、筏式養殖方法が主流となりました。また、採苗方法も夏眠(ワカメは冬眠ではなく夏に眠るのです)方法に違いが見られ、三陸では日光量の少なくなる深場まで沈める方法(水深の深い所は水温も安定しているため)、鳴門では水深も浅く、水温変化が大きいので、陸上の水槽で培養し、黒い網などで日光を遮断しました。
それにより種縄も三陸では凹凸の激しく、ごみが付いてもかき落とせるシュロ縄が主力で、鳴門ではクレモナ糸が主となりました。そして、1965年、確立した養殖方法で大量に収穫されるようになったワカメの加工・保存方法として、リケンのわかめちゃん(湯通ししない塩蔵わかめ)が登場し、供給過多をうまく加工することによって、単なる海産物から国民的食品へと変貌していったのです。
わかめは日本古来の食べ物ですがその養殖が始まったのはかなり新しく、1938年頃と考えられます。
 さて、大槻さんの後の中国はどうなったかと言いますと、養殖テストした昆布は渤海湾沿岸で養殖が急速に発展し、中国が世界一のコンブ養殖国になりましたが、ワカメのほうは、需要がなかったため、一部の研究者の研究対象となって、各地でテストされることにより分布を広げてゆきました。上海の沖、舟山群島に生息するワカメもそのようにしてひろがったのではないかなーと思います。
中国は今、世界一のワカメ養殖国になろうとしていますが、その基本には大槻さんの教えを伝えてきた、中国の多くの海藻研究者の粘りと努力があるのです。


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